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丈六寺
じょうろくじ

文化財が豊富で阿波の法隆寺とも呼ばれます

徳島市丈六町に建つ「瑞麟山慈雲院丈六寺」は、徳島市に現存する最古の曹洞宗の禅寺です。
丈六寺は大化の改新の少し後、白雉(はくち)元年(650)に、関東の天真正覚尼がここに庵を建てたのが始まりとされています。その頃は名を「浄楽寺」とする真言宗の尼寺でした。

朱鳥(しゅちょう)年間(688~700)に、丈六観音像を安置して寺名を丈六寺と改称。
その後衰廃した時代もありましたが、室町時代中期に入り、阿波国、三河国、讃岐国の守護大名であった細川茂之が、金岡用兼(きんこうようけん)という洞雲寺の高僧を招いて再興しました。

現在の丈六寺は敷地全体が徳島県指定の史跡となり、文化財が豊富にあることから「阿波の法隆寺」また「阿波の正倉院」と称されています。

ひとつめの重要文化財は室町末期に建てられた「三門」。和様と禅宗様がミックスされた建築で、鎌倉から室町、そして桃山期への建築様式の推移が分かる貴重なものです。
そして寛永6年(1629)に建てられた「本堂」は、蜂須賀家政が娘辰姫の供養ため、方丈(住職の居室)を再建して寄進しました。

また「観音堂普門閣」は、寄棟造という形状の屋根が二重になった仏堂で、永禄10年に細川真之が建立。何度か改修されてはいますが、室町末期の姿を保っていて三門とともに県下で最も古い建造物とされています。

観音堂に安置されている「木造聖観音坐像」ももちろん重要文化財です。平安末期の作とされる檜寄木造りで金箔仕上げの観音様は、高さおよそ3.6m。このサイズの仏像は丈六仏と呼ばれ、これが丈六院の名前の由来となりました。

こちらの観音様の胎内から見つかった胎内仏は、現在は寺内の宝物館に保存されています。

そして室町中期に描かれた「絹本著色細川茂之像(けんぽんちゃくしょくほそかわしげゆきぞう)」は、細川茂之晩年の自画像とされています。

さらに永禄10年(1567)に建てられた「経蔵(きょうぞう)」は、元々は僧堂(座禅堂)として細川真之が建立したもの。享保12年(1727)に経典を所蔵する経蔵に改められました。

経蔵の中には八角形の「輪転架」という回転式の書架がありますが、これは1回転させると所蔵されている経本を全部読んだことになるという何とも便利な優れもの。そして所蔵されている「佳山版大蔵経」は1616年に明で出版された一切経1968巻で、こちらは徳島市の有形文化財に指定されています。

丈六寺にあるもうひとつの市指定有形文化財は「雲版(うんぱん)」というもの。これは禅宗の寺院で時の合図に打つための、雲を形どった板のことをいいます。

また、県指定の有形文化財として「書院」と「徳雲院」という建物がありますが、実はこの徳雲院の前の廊下の天井には「血天井伝説」というその名も恐ろしい伝説があるのです。

時は戦国時代末。長宗我部元親が阿波に攻め入ってきていた頃のことです。牛岐城主であった新開実綱(しんがいさねつな)は、長宗我部軍をさんざん手こずらせた末に敗戦。元親の軍門に下りました。

そして天正9年(1581)11月12日。元親は丈六寺での祝宴に実綱を招きました。戦の功績を称えられ、祝杯に酔っていた実綱。しかし宴会の終了間際、元親の刺客に部下もろとも殺されてしまったのです。

このとき床に付いた実綱たちの血の手形、足形はいくら洗い清めても落ちることはなく、せめてもの供養の意味で天井板にしつらえたという血天井伝説。現在でも血染めの手形、足形はしっかり残っています。

そんな丈六寺は阿波秩父観音霊場二十四番札所。重要文化財であるため、本堂や観音堂は特別公開の期間のみ参拝可能です。
徳島市丈六町丈領32-2
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